医療・福祉関係者のみなさま

2011年8月1日

「復興」私たちの提言(1) 海守る漁師は「水産特区」構想を許さない 宮城県漁協 経営管理委員会 木村 稔 会長

 3月11日からまもなく5カ月。被災地に希望は見えてきたでしょうか。復興の課題を各分野の方々に聞いていきます。1回目は、東 北の主要産業である漁業から、宮城県漁協の木村稔会長。壊滅的被害を受けつつ、再生に挑む漁民に対し、県知事が打ち出したのは財界発の「水産特区」構想で した。(木下直子記者)

■□壊滅的だった漁業の被害

 「一〇〇〇年に一度」という大地震に、我々があたってしまいました。船、魚市場から造船場まで、あらゆる関連施設が、壊滅的な被害を受けました。漁村からは、風景が消えました。
 宮城県漁協には、五五カ所の支所がありましたが、このうち四〇カ所が流されました。組合員の被害も、家屋の全半壊が五〇〇〇件。船に至っては一万三五〇 〇隻のうち一万二〇〇〇隻が、転覆し、流され、陸に打ち上げられてダメになりました。海苔やワカメの養殖も全滅です。養殖場に入った家屋などのがれきは、 民間では引き上げられず、そのままです。

■□小泉時代の構想が蘇った

 漁業の再生に懸命な我々に、村井嘉浩・宮城県知事が政府の東日本大震災復興会議に「水産業復興特区」を提案する、という情報が入りました。五月のことです。
 その内容に、復興への希望が砕かれるようでした。漁業法が定める「漁業権」の優先順位を「特区」でなくし、企業などが第一順位の漁協と同等に漁業権が得 られるようにするというもの。これは二〇〇七年、小泉政権時代に出された経団連のシンクタンク・日本経済調査協議会の提言(水産業改革 高木委員会)の丸 写しでした。
 国会に出されたその構想は運動で潰しました。民主党に政権交代してからも同じものが出されましたが、その時も通しませんでした。二度まで潰して、もう出 てこないと思っていたら、県知事が、よりによってこの震災で出してきた。我々は憤っています。
 「漁業権」は、一定の水面において、排他的に一定の漁業が営める権利です。海という地域社会の共有物の管理を法制化したもので、長年かけて築きあげてき た、世界的にも注目されている日本独自のしくみです。漁業権によって海の環境を整え、漁獲量の調整・管理を担い、安定した生産体制を確立してきました。地 元の漁協は、その管理を担うからこそ、優先的に漁業権を受けています。
 企業はいまの制度でも漁業に参加できます。「特区」は資源管理にまで企業の参入を許すもので、海の環境に混乱が持ち込まれるのは明らかです。企業は、儲 かる時には力を注ぎますが、儲からなければ撤退します。過去にも大手水産会社がクロマグロなどを乱獲し、魚が捕れなくなったとたん撤退しました。企業は撤 退しても、浜の漁業者は撤退できず、残務処理だけが押し付けられます。
 「特区」構想は、この先五〇年、一〇〇年と漁業が続けられる復興策ではないのです。

■□漁民の声を聞け

 なにより、宮城県知事は、私たちと話もせず、説明もしない。県の復興会議にも、漁 業を入れていません。岩手でも福島でも、県の復興会議に漁業は入っています。漁業権に関わる変更を行おうという時に、漁業権を行使してきた者が意見を言う 機会もなく、一方的に提言を聞けというのは民主主義ではありません。
 また知事は、企業参入を進める理由として「沿岸漁業者は生産設備を失い、個人での再開は困難」と説明しましたが、どの漁業者に聞いたのかは不明です。ま た窮状を言うなら、他の被災県のような「漁船や漁具の貸与」といった支援策がなぜないのか。宮城県からは一つの提案もありません。
 被災していったん避難した人も、浜に戻り、漁業に戻りたいと願っています。津波は、海底に蓄積していた不要物も流すので、津波の後の海では三年で育つも のが、一年で育つなどの利点もあります。再起には数百億円必要です。政府の対策を待てないので、漁協が立て替えることも検討しています。
 海岸線を蘇らせるには、漁業の復興が不可欠です。それには、漁業権を維持し、漁民を支えることが必要です。明日の漁業を護るために、立ち上がります。

(民医連新聞 第1505号 2011年8月1日)

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