医療・福祉関係者のみなさま

2011年7月18日

被災地発(3) 県外避難者は― 「縁故疎開」の医療を支援して 神奈川 汐田総合病院

 東日本大震災被災者には、知人や親類などを頼って県外に避難した「縁故疎開」の人たちがいます。こういった被災者の実態は、把握 されていません。神奈川・汐田総合病院では、そんな被災者の受診や相談を積極的に受けてきました。同院総合ケアセンター室長の松尾ゆかりさん(PSW)に 聞きました。(木下直子記者)

原発事故の避難者が最多

 汐田総合病院を受診した被災者は、三月一七日から五月六日までで三一人でした。年 齢層は一歳から九〇代、神奈川県が設置した避難所にいた人が一人いた以外は、親族や知人宅を頼って避難した人ばかりです。県別では、宮城が六人、岩手と長 野が各一人、福島が最多の二三人でした。
 同院では、被災者が受診した際「窓口負担金をとらない」と対応を意思統一しました。もともと、災害救助法で被災者の医療費負担は免除されますが、原発事 故で福島県から逃れてくる人たちが救済対象になるか、当初は厚生労働省通知にも明示されていませんでした。公的救済制度が適用されない場合も、無料低額診 療事業に切り替え、医療費を減免することにしました。
 被災者は必ずケアセンターにつなぎ、SWは、生活相談が必要な人への継続援助を担うことに。
 来院した被災者三一人中、入院は四人、往診管理が一人、外来治療が二二人でした。着の身着のまま避難してきたインスリン治療中の糖尿病患者や高血圧患者 などの治療継続、避難生活によると思われるぜんそくや風邪、被災のストレスで問題行動が急にすすんだ認知症の高齢者、不眠などです。

原発がなければ死ななかった

 深刻な事例も…。福島県の認知症男性(六〇代前半)でした。原発事故の影響で、利用していた高齢者施設ごと避難所に移りました。男性は避難所で肺炎を発症、救急搬送され、酸素吸入、経管栄養管理の寝たきり状態に。
 そして、次の転院先探しが難航しました。国が被災者の医療費負担を免除する範囲は保険の枠内だけ。年金額が低いため、療養型病床での実費負担が難しく、 行き場のなくなることが明らかなこの患者さんをどこも受けなかったのです。医療依存度が高くなったため、もとの介護施設にも戻れません。子どものいる神奈 川県まで病院探しを拡大し、汐田総合病院が受けることになりました。
 福島=神奈川間の移送費でも困りました。民間救急車の運賃が二〇万円、子どもたちの負担も限界でした。同院が加盟している「慢性期医療協会」という団体 が、被災患者の県外移送費の補助を始めたおかげで、五月にようやく転院。相談が入った約一カ月後のことでした。しかし、衰弱していた患者さんは、一カ月足 らずで亡くなってしまいました。

 「被災するまで食事も自立して、お元気でした。『原発事故で死んだ人はいない』といわれますが、嘘。この方は原発事故がなければ明らかに死なずにすんだ んです」。松尾さんは悔しさを隠せません。「これまで受診した人の大部分が福島に戻り、避難所などで生活しています。個人で避難した人たちには情報がなか なか入りません。『ダメだったら戻って』と、声もかけ、いつでも支援する構えですが、社会保障の貧困が、こうした災害時に弱者に大きく影響する、と痛感し ています」。

(民医連新聞 第1504号 2011年7月18日)

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