医療・福祉関係者のみなさま

2011年6月20日

かあさんの「ほのか」な幸せ ~眠りっこ子育てetc.~ (2)「心はいつも、自由」 創造的な、子育て! 文:西村理佐

 生まれてまもなく「目も見えない、耳も聞こえない、目覚めることもない」と宣告された子どもを、一体どうやって「子育て」しているのだろう? と いうのはごく当たり前な疑問だろう。実際、そんな個性的なわが子とどのように接していいのやら、とうさんだってかあさんだって、最初は当然とまどった。だ が当の本人は、「目ってなに、耳って聞くところなの? 目覚めないとか、意味わかんない」とそんな面持ちで、自分がこの世に誕生してきたというその事実、 「とうさんとかあさんと一緒に暮らせる!」そんな当たり前のことを全身で喜んでみせるのだった。
 そんな帆花の姿を見るにつけ、かあさんは帆花を授かるまで持ち合わせてきた「枠組み」や「価値」を手放した。それは非常にあっさりと清々しいことであ り、それほど、「ただ生きている」という帆花のいのちは力強かった。すると不思議なことに、四六時中話しかけているかあさんに、それを聞いた、声も発しな い、微動だにしない帆花から、ことばに変換する必要のない彼女の「心」が、そのままドーンと、かあさんに返ってくるのだ。
 現在、3歳8カ月。自我がメキメキ出てくるお年頃。とうさんやかあさん以外にはわかりにくかった帆花の「心」は、だんだんとベールを脱ぎ、わかりやすい 表出をするようになってきた。嬉しいと、明らかに薄笑い、嫌な時は、真っ赤になって目を見開き、鬼の形相をする。帆花は「自分なりの世界」と、「外の世 界」の繋がりを見つけ始めている。それが、世に言う「成長」なのだと思う。だから、とうさんとかあさんは、その「成長」を見守る。「できるできない」じゃ あない。比べることもない。「心」はいつも、自由だ。いつでも、どこにでも行ける。なんと創造的な、「子育て」だろうか!


プロフィール
(にしむら・りさ)首都圏在住の30代女子。低酸素脳症で人工呼吸器をつけた娘を子育て中。著書『ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン)

(民医連新聞 第1502号 2011年6月20日)

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