民医連新聞

2007年9月3日

記者の駆け歩きレポート1(16) はじめての挑戦 県連でささえた現地建て替え 東京・中野共立病院

 中野共立病院(健友会)が、二月一日にリニューアルオープンして半年。建設中の約二年間、他法人に出向し、はげましあってきた仲 間たちが再び結集して、新病院の運営にがんばっています。出向先で学んだことや経験も生きています。移転せず、同じ土地で建て替えるという挑戦は、東京民 医連ではじめて。県連的な連帯で可能となりました。(川村淳二記者)

建設中は他法人へ出向

 「大地震がきたら一気に崩れますよ」。九七年ころに受けた設計士の診断に衝撃が走りました。移 転建て替えを考え、四年間も土地を探し続けましたが見つかりません。病院のまわりは住宅や商店が密集し、住民同士みんなが知り合いのような下町っぽい雰囲 気。町にとけこんでいた病院に、「ここで続けてほしい」という住民の声も根強くありました。
 そこで〇四年、東京民医連も入って検討した結果が、現在地で一気に建て替える計画でした。建設中、職員は民医連の各事業所に受け入れてもらうのです。県 連に対策委員会を設置。法人間の調整をはかり、中野共立病院の職員の約七割にあたる、八五人の職員が出向しました。特に、中野共立病院にほど近い代々木病 院(東京勤医会)は二五人の職員を受け入れました。両病院は〇一年から医局の交流を続けていました。
 「出向した職員がはげましあっていけるよう気を配った」と話すのは、吉田希以子専務理事。ニュースで進行状況を知らせ、三カ月に一回は全員が集まって報 告会を行い職種ごとにも会議を開きました。分散した職員の団結を保ちながら建設をすすめました。そのうち職員の中にも「出向はいい研修の機会」という捉え 方が広がりました。
 「新病院はセントラルキッチンにしたので、切り替え中の代々木病院で働けたのは、いいリハーサルだった」と関根 誠さん(調理師)。「代々木病院にいて、勤医会の診療所や訪問看護ステーションとも連携できた。いま、そこからの受け入れがスムーズにできる」と原 由絵さん(看護師)。出向の経験が役立っています。

待ちこがれた新病院

 建設中、患者さんの治療をどう継続するかも大きな問題でした。近接診療所にCTなど検査機器を移設。当直体制をとり、臨時往診も二四時間で対応しました。入院以外の医療はできるだけ継続しました。
 小林和苗さん(医局事務)は、工事中の看板を見て立ち止まっている患者さんがいたら、声をかけるようにしていました。「おじいちゃんがほかの病院に入院 したけれど、看護師さんに『漏らしちゃって』と怒られて泣くのよ。共立だったらそんなこと言われないのに」と訴えた人も。
 一二億七〇〇〇万円の建設資金の一〇億円は、共同組織の協力で集まりました。「外来や訪問で会う患者さんは、病院ができたら入院してみたいと楽しみにし ていた。私も早く仲間といっしょに働きたかった」と、山田政志さん(理学療法士)。「新病院建設を願う共同組織の協力と、東京民医連はじめ多くの法人のさ さえがあったから、現地での建て替えができた。おかげで職員はまたがんばれる」と荒井 均事務長もいいます。

次の連携はじまる

 建設途中の〇六年四月に、療養病床の診療報酬が大幅に引き下げられ、病床選択の再検討が迫られ ました。そこで代々木病院と連携し、外科、重症の急性期医療は代々木病院、在宅医療の支援や入院透析は中野共立病院と、役割分担することになりました。 代々木病院は療養病棟を障害者病棟に転換し、中野共立病院はあえて療養病棟を持ちました。
 「療養病床を選択したのは、在宅と診療所の医療をしっかりささえるため。この地域全体の健康に貢献したい」と内 孝子看護総師長。
 現在、病床はほぼ満床状態で、透析も予定より早く、今年中には三〇床をフル稼働できる見通しです。
 「中小病院では、職員は毎日の医療活動で、地域の要求と自分たちの仕事が結びついていることが実感できる。高齢者にとって、いつでも気楽に通院でき、良 心的に診てくれる病院が大切です。私たちの存在価値はそこにある」と、高津 司院長は話しました。

(民医連新聞 第1411号 2007年9月3日)

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