民医連新聞

2007年1月1日

こだわってます! 人権を守りみんなでつくる医療と福祉 大阪

3年間の熱中症調査で「クーラーがない理由は貧困」

 クーラーのない家、あっても使わない高齢者が熱中症に。「死者が出てからでは遅い」と大阪民医連では、三年間、訪問調査を続け、行政に対策を求めてきました。「対応が変わってきた」という同県連の池田信明会長の報告です。

 対象は各事業所の外来と在宅の患者様で、六五歳以上の独居・老夫婦世帯。〇六年度も七月二四日から一週間、午後二~三時ころに五〇二軒を訪問。六割で、 室温が三〇度を超していました。クーラーがない家八一軒では、八割が三〇度以上。結果は三年間あまり変化なく、依然として深刻なままでした。
 〇五年、大阪府に結果を届けた際、府の担当者は「そんなものでしょう。高齢者はクーラーが嫌いだから」と言いました。果たして本当なのか? それで今回は「なぜクーラーがないのか、使わないのか」も聴き取りしました。

クーラーが持てない貧困

 五六軒のクーラーのない家で聴き取りしました(事例)。六二%が独居でした。経済的状況をみると所得税課税の人は五%だけ。貧困と関係していました。
 また、クーラーがあるのに、二時間以下しかつけない九〇人中、非課税所得・生活保護は七九%でした。やはり経済的理由です。認知症などで「使い方が分からない」人もいました。
 「貧困・独居・認知症」これがクーラーを持てない、あるいは使えない理由であり、熱中症の危険性を高める要因であると考えられます。こういう人への社会的援助が今後の課題です。


熊本
水俣病患者とともに30余年 病像を示し勝訴の力に

 水俣病が公式に認められてから五〇年。水俣病を拡大させた国・県の責任を明確 に認めた関西訴訟最高裁判決が〇四年一〇月に出ました。あきらめていた被害者が心を強くし、四五〇三人(〇六年九月現在)が認定を申請。しかし、国は認定 基準を見直しません。熊本の患者会は「ノーモア・ミナマタ国賠訴訟」に立ち上がりました。水俣協立病院をはじめ、熊本民医連の職員は患者さんをささえ続け ています。(川村淳二記者)

 「死んでしまったもんも、生きていくもんもきつかばい」。提訴一周年集会(〇六年一〇月)で、 原告の岩下セキノさんが訴えました。一九五八年に漁師の夫と結婚したとき、同居する夫の父母は病気、姉も寝たきりでした。懸命に働いた夫も船から転落し、 仕事ができなくなり、「水俣病で売れん」と漁師が置いていく魚を食べて生きるしかありませんでした。長女は全身の痛みで病院に通うようになり、七歳で亡く なりました。自身は水俣市立医療センターでは水俣病と分からず、数年前に水俣協立病院の高岡滋医師の診察を受け、初めて水俣病と診断されました。

無責任な国

 五〇年間、国や県は一度も実態調査をしていません。関西訴訟の判決が出た後も、厳しすぎる認定基準を見直さないばかりか、未だに認定審査会すら開きません。
  切り捨てられ、あきらめている患者さんはまだいます。提訴の趣旨は「最高裁判決を国は受け止め、被害者に賠償せよ。賠償の対象や方法、金額についての司法 判断を求める」ものです。〇五年一〇月に五〇人で始め、一年間で原告は一一〇〇人を超えました。
  弁護団長の園田昭人さんは、集会で「前の第三次訴訟では、原告が一〇〇〇人になるまでに八年かかったが、今回は早かった」。それだけ「水俣病と認めてほしい」という要求が強いのです。

病像の解明に努力

 一九七四年、患者さんたちの願いでチッソ水俣工場の門前につくられた水俣協立診療所は病院となり、患者さんと歩んできました。
  医師らが努力して確立した、急性劇症型から慢性不全型・軽症までの病像は、関西訴訟の勝利にも貢献しました。
  最高裁判決が出た後、検診希望者が急増しています。熊本民連では、九州沖縄地協の支援も受けて、九月末までに二六〇〇人を超える住民を検診しました。その 約八割は水俣病検診が初めて。九割以上に感覚障害、四~五割に運動障害、二~三割に視野狭窄がありました。
  行政から水俣病の情報提供がない中、「NPOみなまた」では『新たにわかってきた水俣病のはなし』や『水俣病医学研究業績集』を発行し、水俣病の医学的真実も示し続けています。
  熊本民医連事務局長の近藤敬一郎さんが訴えます。「水俣病が放置されている現実は、薬害、BSE、アスベスト問題にも通じる。私たちの役割は、水俣病は終わっていないという世論をつくること」。


富山
日本一の県単独・医療費助成 35年間守りつづける

 富山県には、全国一すばらしい医療費助成制度があります。「原則、所得制限なし・自己負担な し・現物給付」で、六五歳以上は、障害者手帳六級(寝たきり三カ月以上も対象)まで対象です。対象範囲の広さと助成水準は文字どおり全国に類がありませ ん。これは、県内の社会保障運動が一九七一年の制度創設以来、三五年間守り通してきた「県民の財産」です。
 県は過去六回も制度見直しを計画してきましたが、県民の運動と世論で、大きな後退をいっさい許していません。〇五年一二月に出された「見直し計画」も断 念させました。その案とは、妊産婦・軽度障害者助成の廃止、所得制限、一部負担、償還払いへの変更の四点でした。
 県知事は「限られた財政の中で、制度の根幹を守るため」と力説。「助成額は一〇年後に七億円増えて二九億円になる。国の医療制度改革でさらに増える」と 根拠を示さず、財政問題から危機感を煽りました。しかし、県保険医協会が「一〇年後は一九億円」と試算を発表し、大きな反響をよびました。
 運動母体は「富山の医療と福祉と年金をよくする会(県社保協)」です。この一年、焦点の「償還払いの導入」の問題点を、県・市町村、県議会・審議会委員などに繰り返し訴えました。
 一八四の団体署名、二万二三五筆の県民署名も展開。富山県産婦人科医会が六月、県知事に「妊産婦助成」の継続を求める要望書を提出。日本産婦人科医会が 「先駆的な富山県に学び全国に広げよう」との通達を出しました。六月県議会では自民・社民・共産などが「見直し案」に反対・慎重の立場に。
 私たちが要求した「パブリックコメント」には、民医連職員や障害者団体が多数応募。寄せられた二〇五件の圧倒的多数が「制度維持」でした。

民医連も奮闘、共同広がる

 富山民医連の事業所での、助成制度の利用率は、外来一六%、入院五六%、特養ホーム六二%。患者の「命綱」です。「身障手帳取得」の反映もあります。
 富山民医連は、事業所、職場で学習し、署名一万筆、ビラ二万枚配布、街頭宣伝など、運動の牽引的役割を果たしました。
 「県障連協」(障全協盟)は、障害者団体へ共同の運動を呼びかけました。制度を守ったことが、障害者団体共通の大きな確信になったのです。
 その後、八月に「障害者フォーラム」を開催。一一月には、障害者六団体で、障害者自立支援法「見直し」で、自治体キャラバン行動、県議会要請、県知事への要望書提出と、精力的に活動を展開しています。
 県当局は、改悪を断念したわけでなく、〇八年四月実施をもくろんでいます。引き続きの奮闘が求められています。
 当県連では、今年の地方選・参院選でも、県単・医療費助成堅持、医療・介護・障害者施策の拡充を求め、優しくない社会・政治の転換をめざして奮闘するつもりです。
(吉田修・県連事務局次長)


 

県単・障害者医療費助成制度
※印以外は、所得制限・自己負担なし、現物給付
(1)65歳未満重度……1・2級(療育手帳A)※59歳未満のみ世帯所得1000万円の所得制限
(2)65歳以上重中度…1~4級の一部(知的)※償還払(富山市は現物給付)
(3)65~69歳軽度……4級の一部~6級(寝たきり3カ月)※1~2割負担。富山市は負担なし、70歳以上も対象

(民医連新聞 第1395号 2007年1月1日)

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