民医連新聞

2006年12月4日

相談室日誌 連載230 経済が低迷する最北の街で、Aさん家族は 野村 昭典

日本最北端の街、北海道の稚内(わっかない)市は、観光客が二〇〇二年度の八一万人をピークに減少し、二〇〇五年度は、六八万人にとどまっています。世 界遺産登録で観光客が増加している知床(しれとこ)、月別来園者数日本一を続けている旭川市の旭山動物園の盛況の陰で、稚内市民の懐は冷え切っています。
 樺太(からふと)出身のAさん(九〇代・男性)は、戦後、樺太から引き揚げてから印刷業者で修行を積み、五十代で独立、製本業を営んできました。五年程 前に認知症を発症。タバコの火の不始末で絨毯を焦がす行動が目立ち始め、日中の事故を防ぐため、通所サービスを利用することになりました。
 Aさんは、息子さんとそのお嫁さんの三人家族。息子さんが出稼ぎのため、お嫁さんがAさんを介護しています。観光客の多い夏期は旅館で、冬期は地元の観 光施設で調理員などの仕事をして、生計を補っていました。消防車のサイレンが響くたび、「火事になったのでは」と、不安な心境で働いていました。
 Aさん家族に変化が訪れ始めたのは、二〇〇四年の冬です。生活の糧にしていた観光施設の閉鎖で、冬期の仕事を失いました。旅館の仕事は、観光客が多い夏 期でも一日の実労働は数時間で、手取りが月一〇万円を下回る状態です。預貯金を切り崩しながら、携帯電話を離さず、旅館からの急な仕事の依頼を待つ日びが 続きました。
 今春からは、旅館の仕事の傍ら、閑散期には水産加工場の加工員(時給六四四円)として働くことができるようになりました。しかし、九月、Aさんを一人で 介護してきたストレスと過労から、お嫁さんが腹部の痛みを訴えて当院を受診しました。そして、紹介した市内の総合病院で癌と宣告され、稚内市から車で五時 間離れた旭川市の病院で入院治療を受けることになりました。お嫁さんは、内定していた就職を断り、Aさんを短期入所施設に預けました。戸惑いを隠せませ ん。
 稚内市は観光客の減少で、観光業界を中心に地域経済が低迷しています。Aさん家族は、入院費や介護費がかさみ、生活保護基準以下の生活を余儀なくされて います。貯蓄が底を尽くのも時間の問題です。景気回復とは程遠い最北の地、稚内の現状です。

(民医連新聞 第1393号 2006年12月4日)

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