いつでも元気

2012年8月1日

平和を求めて

“ピースラン”でリレー 徳島健康生協

torikumi250_04 五月二七日、昨年のドシャ降りから一転、快晴のもと「反核・脱原発四国ピースラン」を開催しました。
 走者と自転車部隊あわせて七〇人ほどが“ピースラン”。石井クリニックから出発し、健康生協本部、健生なると歯科を経由して香川県津田の引き継ぎ地点ま で約六三キロのコースです。職員と組合員のマラソン愛好家にはすっかり定着していて、沿道にアピールしながら余裕を持って引き継ぐことができました。
 出発地点でおこなわれたセレモニーに多数の応援団も参加して記念撮影。今回は広島市長から連帯と激励のメッセージが届きました。
(石川弘和通信員)

「金より命」訴える 福岡・北九州健康友の会連合会

 佐賀市のどんどんどんの森で、「さよなら原発! 五・二七佐賀集会」が開かれました。気温三〇・五度という真夏日のなか、九州各地から約二五〇〇人が集まりました。
 健和会と当友の会は、バス四台に分乗して参加。集会では国内の全原発の廃止を求める宣言を採択しました。
 集会後は県庁前まで約一時間半かけてアピールウオーク。「電気は足りてる」「金より命」とシュプレヒコールをあげながら、「さよなら原発」を訴えました。
(田代由佳里)

軍艦島を訪ねて 福岡民医連

 五月一七~一八日、第八回九州・沖縄共同組織連絡会交流集会を長崎で開き、四八人が参加しました。中国人や朝鮮人の過酷な強制労働の歴史を学ぼうと、岡まさはる記念長崎平和資料館や軍艦島を訪ねました。
 軍艦島の正式名は端島ですが、外観が戦艦「土佐」に似ていたことからこの名がつけられました。小さな岩礁だけの島に良質な石炭が発見され、最盛期には五 三〇〇人が住み、人口密度超日本一の島でした。石炭産業の衰退で一九七四年に閉山となり、無人島になりました。不気味なまでの静寂さと、一九一六年に造ら れた日本最古の高層アパートが朽ち果てながらも残っているのが印象的でした。
 集会では各地の活動報告のほか、班づくりや健康づくりを中心に活発な意見交換をおこないました。
(武井賢司)


各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。

いつでも元気8月号No.250より

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